かめぶろぐ

毒にも薬にもならないことなど

愚痴をやめたい

今日は久しぶりに友達と話した。

 

私が精神的に参っていたので愚痴を聞いてもらう会のようになってしまった。

申し訳ないと思う。

私は人の愚痴を聞くのが苦手なのに、他の人に対しては愚痴を吐いてしまう。やめたい。

 

あまりに愚痴っぽいと友達が離れてしまうのではないかと怖くなる。

 

愚痴を言うことで事態が良くなった経験はない。

むしろ私の愚痴は重い話になりがちなので、友達に気を使わせてしまう。今日話を聞いてくれた友達は「いつもの事だから気にしてないよ」と言ってくれるが、いつまでもこのままではいけないと思う。

 

三十路手前にもなって親のことでグチグチとしているのは情けない。

こうして自己嫌悪感が強くなるのも愚痴のデメリット。

 

自分だけでは手に負えないようなストレスは、少なくとも友達に聞いてもらうのではなくて、カウンセリングで話した方がよいだろう。

「そのためにカウンセリング料を払っている」くらいに思えるようになりたい。

 

カウンセリングを通して自分に自信がついたり、自己肯定力を高めることができれば、親にされたことで傷ついた自分を掘り起こさなくて済むのかもしれない。

そのあたりは「自信がある」という状態をキープした経験がないのでなんとも言えない。未知の感覚。

 

心療内科の診察で薬を処方してもらう日に、カウンセリングをセットで受けている。

私は人生で何度か心療内科のお世話になっているが、少し回復してくると「病院のあるビルに入ると街の人からアイツは心の弱い人間だと思われる、それは嫌だ」と病院に行かなくなってしまう。

そうして勝手に服薬を中断し、しばらくして症状が悪い状態に戻り、しばらく一人で鬱々と生きづらさを感じながら暮らし、限界になりまた心療内科に行く……といった良くないスパイラルを繰り返している。

 

今通っている病院の受診とカウンセリングを続けることが出来るのか不安。また行くのが嫌になってやめてしまうのではないか?そしてまた悪化するのではないか?

これも自己嫌悪感に繋がってしまう。

なかなかどうして難しい。頭では分かっているつもりでも感情が邪魔をして上手くできないことがある。私の場合は人からどう思われるかが気になって仕方がない。

世の中、みんなそれほど他人のことを気にしてはいない。分かっているつもりなのだが怖くて仕方がない。

 

カウンセリングでは「「怖い」が強いんですね」と言われた。

その通りだと思う。

 

この恐怖心が和らげば今の生きづらさもマシになるのだろうか?

つい愚痴を言ってしまう自分も変えていくことが出来るのだろうか?

 

 

とりあえず今日のところは、自分を労わって過ごそうと思う。

落ち着く音楽をかけて、好きな香りを楽しむ。

最近はジャズが心地よく、スイートオレンジのエッセンシャルオイルがお気に入り。

 

自分を大切にして生きていきたい。