かめぶろぐ

毒にも薬にもならないことなど

母と宗教

物心ついた時には

母はエホバの証人だった。

 

母の考え方は「エホバがそう仰っているから」「組織がそう指導するから」であって

自分がどう思い何をしたいのかといった主体的な考えは

全く持っていなかった。

 

母は私を産む前なのか産んだ後なのかは知らないが

成人してからエホバの証人に入信した人だ。

 

ということは

エホバの証人ではないあの人」が

過去には存在したということになる。

宗教に染まっていない母親。

どんな人だったのだろう。

 

タイムマシンがあるなら、

過去の母親に会ってみたい。

エホバの証人になるな」とは言わない。

(それが母の唯一の拠り所だから)

ただ、どんな人で、どういう考え方をする人なのか、

会って話がしてみたい。

 

話をしたら絶望するかもしれない。

それでもいい。それはそれで仕方がない。

 

宗教を抜きにした母親と

個の人間として関わってみたかった。

私が母と2人きりになることは

もうこの先望めないだろう。

母の中にはエホバが住んでいるから。

あの人は私の母だあって、私の母ではない。

母の心はエホバに取られてしまった。

 

 

昔を思い出す。

 

母との思い出は宗教が絡むものばかりで苦しいものが多い。

 

しかし苦しいばかりでもない。

 

近くの公園で小さな小さなお花見をしたこと。

コロッケを作るお手伝いをしたこと。

 

なんでもないことが一番幸せだった。

 

あの時は個の人間として関わることができていた。

 

母との思い出から、

宗教を抜きにした記憶だけを留めておきたい。

嫌なことばかり鮮烈に覚えている。

 

もう十分苦しんだ。

 

暴力の記憶なんて消してしまいたい。

母親を憎しみたくない。

 

普通の親子でありたかった。

普通でいたかった。

 

神様よりも私を愛してほしかった。