かめぶろぐ

毒にも薬にもならないことなど

エホバの証人2世本『カルト脱出記』レビュー

エホバの証人という宗教がある。

輸血をしないことでちょっと知れていたりする。

(知らない人は知らないままでいいと思う)

 

最近、エホバの証人に関する本を読んでいる。

今回読んだのは佐藤典雅さんの『カルト脱出記』。

エホバの証人であった著者が、エホバの証人をやめるまでの話である。

 

結論から言う。がっかりした。

「なんだこれは?エホバの証人からスピリチュアルに依存先が変わっただけじゃないか?」というのが正直な感想。

終盤は霊能力者が出てきたり、荒唐無稽で突飛な話の連続だった。

 

※ただし、著者本人は、スピリチュアルに対して「特定の信条を持ち合わせていない」と述べている。

 

 

私も著者と同じようにエホバの証人の母親に育てられた「エホバの証人2世」である。

私は小学校の騎馬戦がきっかけで背教しているが、信者である母親との関係に今も悩んでいる。

 

多くのエホバの証人2世がそうであるように、私も母に暴力を受けて育った。

28歳の現在まで不眠や抑うつ、悪夢によるパニックなどの症状があり、心療内科に通っている。PTSDの治療カウンセリングも並行して受けている。

 

エホバの証人をやめた人の「やめ方」から、生き方や考え方のヒントを得られればと思い、読んだ。

 

期待した私が悪いのだが、この本の著者のやめ方は非常にオカルト的だと感じた。有り体にいえば胡散臭い。

一方、教義に違和感を持ち始めたあたりの描写は、非常に興味深かった。

エホバの証人が唱える教義に「あれ?なんかおかしくない?」と感じた経験は私にもあるからだ。

そのあたりは私自身の体験とリンクして面白く読むことができた。

 

逆に言えば、この本が面白かった部分といえばエホバの証人に違和感を感じ始めた部分だけだった。

 

他は苦痛と失望でしかなかった。

著者は霊能力者の助言でエホバの証人をやめている。カルト宗教をスピリチュアルからの助言でやめているのだ。カルト宗教とスピリチュアルの何が違うのか?私には到底理解できない。両者とも「胡散臭い」としか感じない。

 

著者は純粋な人なのだろうと思う。

純粋に神エホバのことを信じてきたから、他の何かに依存したり、しつこいほどの理論武装をしないと洗脳が解けないのだろう。

ここまで綿密にエホバの証人の教義に対して理論武装をする必要はないと私は思う。

「違和感がある」時点でその人には合っていないのだから信仰なぞ捨ててよいと思う。本当に自分に必要なものなら「しっくりくる」はずだと思う。

(そう簡単に出来なかったから苦しんだのだろうな、と同情はする)

 

少なくとも、この本は今の私が必要とする本ではなかった。

特に幼少期のエピソードは読み進めるのに酷く時間がかかった。

私のトラウマと重なってしまうからである。

 

休み休み読んでもしんどさが残り、読んでいる時は本当に苦しかった。それでも「この人は最終的にはエホバをやめるんだ」と思うことで読み進めることができた。

 

 

この本は、外部の人間がエホバの証人を小馬鹿にしながら読む分にはスリリングでSFチックで面白く読めるかもしれない。

エホバの証人を身内に持つ事のヤバさを世の中の人に知ってもらうには良い本だろう。また他の宗教や霊やスピリチュアルといった類のものの持つ危うさも感じることが出来る。

 

カルトの仕組みを知らない人が知識として知っておく分には有益だが、仕組みを知っていて離れている2世には必要ないかと。

 

 

個人の感想になってしまうのだが、私にはこの方の文章が合わなかった。

エホバの証人の組織の中で名誉ある地位に着いたけどエホバを離れて今はビジネスで成功している自分凄いでしょ日記」に見える。

「霊能力者の助言で覚醒したけどスピリチュアルは信じてない」と必死に(私には必死な弁解に見える)書き連ねている所は失笑してしまう。

 

 

この本に勝手に期待して勝手に失望してしまった。反省。

これを教訓として、今後エホバの証人に関連する本を読む時は「ふーん、へえ、あっそう」くらいの突き放した立ち位置で読もうと思う。