かめぶろぐ

毒にも薬にもならないことなど

人と会うのは好きだけど、本当は話しかけるのが苦手

私は人が集まるところが好きだ。

それでいて、一人でいるのも好きだ。

 

人と会うのが好きなので、学生時代の友達や先輩後輩と飲みに出かけたり一緒に遊んだりするためにこちらから声をかけることがよくある。

特に大学のサークルの仲間には今でも定期的にイベントを開催している。

 

企画を主催すると言われるのは「人集められるのすごい」「私は声かけるの苦手だから尊敬する」「誘ってもらえてありがたい」などの言葉。

こちらとしても喜んでくれるのはありがたいのだが、どうにも引っかかる。

 

私は人と会うのも話すのも好きだが、本来、人に話しかけることは苦手。

ところが周りからは得意なように写っているのではないかと感じる。

 

飲み会などではひとりぼっちの人が出来ないように気を回したりする。気を回すことが“できる”だけであって、得意ではない。断じて。

 

不得手だろうが努力して「陽気で気のいい奴」を演じているだけである。これは私の処世術なので、生まれた時からそういう気質であるかのように言われるとモヤモヤする。

嫌味でもなんでもなく、100%の肯定でそう言ってくれていることは理解できるが……。どうにも釈然としない。

 

演技でもなんでも出来るんだから“得意”なんでしょ、という意見もまあ分かる。

しかし、“苦手だけど無理して作ってるような感じ”は表に出さないようにしているからだと言いたい。

 

本当は苦手で!引っ張ってくれる人がいるなら任せたい!!

 

 

 

幼少期は自分の意見を発することが大の苦手だった。

家族に対してはなんてことないのに、集団に入ると途端に黙りこくってしまう。

幼稚園ではあまりにも反応しないせいで「石」と呼ばれていた。今になって思えばイジメだったかもしれない。

 

学校生活でも、自分から話しかけて友達を作るなんてとても無理。話しかけてもらったりなんやかんやで友達は出来たが、中心になるようなタイプではなかった。

教室の隅でずっとノートに落書きしている子供だった。

 

元から一人でいるのが好きなのだ。

ひとりっ子なのもあって、ひとり遊びに抵抗がない。

 

まるきり集団生活ができないというわけでもないが、親しくない人まで含まれるような大きな集団に入るのは今でも苦手。

仲のいい人たちと小さな集団にいる分には居心地が良いので平気。

 

 

「人と話すのは楽しい」と思えるようになったのは二十歳を超えてからかもしれない。

 

「他人にどう思われているか気になる」「不用意な発言で嫌われたらと思うと怖くて仕方ない」という感情もあり、ただ楽しいだけで終われないからこそ苦しい。

 

イベントなどを企画しても、開催後にドッと疲れが押し寄せる。

 

 

ポジティブとネガティブが同時に在る。

それを知らずにポジティブな人間だとレッテルを貼られると、モヤモヤして、虫の居所が悪いとイライラすることさえある。

褒められて苛立つのも迷惑な話。

 

 

この感情と上手く折り合いをつけたい。