家でグルグルと自己嫌悪していたら、インターホンがなった。
荷物が届いた。推しのフィギュアだ。
ついさっきまでの鬱々とした自己嫌悪感は吹き飛んで気分が一気に良くなった。
いそいそと梱包を開けてニコニコしながら組む。
きっと夥しい量の脳内麻薬が出ているに違いない。
早速、「推し棚」に鎮座していただく。
最高。造形が良い。100億点満点。
……語彙力のないオタクの完成である。気分が高揚している。
私は一人暮らしをするまで、フィギュアを買ったことがなかった。
小さなものを中古で買ったことと、友達から貰ったことならある。
受注生産品を予約して正規で購入したのは初めての経験である。
実家では漫画やアニメは規制されていたので、フィギュアを飾るなんて以ての外だった。飾ったところで激昂した母に捨てられることが分かっているので最初から選択肢にない。
ところが。今は一人暮らしなので好きにしていい。
推し棚を作ってひとり悦に入っても、罵倒も叱責もされない。
おかげで物欲も膨れ上がっている。あれもこれも欲しい。どれも「好き」に満ち溢れている。
その一方で、身の丈に合わない量の物を持っても幸せになれないと思っている。
今は、自分で管理できる適量を探っているところ。
と言っても、予約をした時には「身の丈」なんてまだ気にもしていなかったので物欲が抑えられず、同じものを3つ購入している。
私、これ、どうするんだろう……?
現在、部屋に出すグッズは「推し棚に飾れる分だけ」と決めている。好きだからと何でもかんでも出すと落ち着きのない部屋になり、物の多さに疲れてしまう。
残りの2つは飾るスペースはない。
かと言って売るつもりもない。保存するのだろうか?なんのために……?
一時の感情で衝動買いをすると冷静になった時が怖い。
今日は感情の起伏が特に激しい。
「久しぶりに友達と会えて嬉しかったな」
「愚痴ばかり言ってしまった。嫌われないかな」
「推しのフィギュアが届いた!やった!!」
「随分とお金がかかったなあ。入院控えてるのに、痛い出費。無計画だなあ……」
「飾った!嬉しい!楽しい!!」
「また衝動買い。買い物依存かなあ。嫌だなあ」
といった具合である。
軽い気分の浮き沈みなら良いのだが、私は気分が下がる時はものすごく落ち込む。
他の人も似たようなものなのだろうと勝手に思っていたが、どうやら私は感情の起伏が激しいタイプのようだ。
気分が上がる分には楽しいので困っているという感覚はあまりない。困ることと言えば計画性が無くなること。
逆に気分が下がる時の下がりようは自分でコントロール出来ずに落ち込みすぎてしばらく戻って来れないこともある。
感情がジェットコースターのようで目まぐるしい。
せっかく推しのフィギュアが届いたのだから、ハッピーな状態がもうちょっと長く続いてもいいのにな、と思う。
しかし人間は幸せを感じるのはほんの僅かな間だけらしい。
私の感情の起伏は、下がる時に下がりすぎているのかも。
嫌な時に嫌な気持ちを噛み締めないようにしたい。
そのままの自分でいいのだと思えるようになりたい。
「明日は明日の風が吹く」と軽く流せる余裕を持ちたい。
余裕が無いと、楽しいことがあっても他のことに気を取られて参ってしまう。
きっと自分に余裕があれば、気にかかることがあっても「まあいいか」「なるようになる」と思えるのではないだろうか。