かめぶろぐ

毒にも薬にもならないことなど

オタクがグッズを集めるのは自己顕示欲なのか

こんばんは。

推しのグッズは欲しいタイプのオタク、かめです。

 

タイトルの主語が大きいですが内省です。

 

 

私には、特に仲のいいオタク友達が2人います。

 

私がグッズへの所有欲が強いのに対して、

彼女たちは所有欲が全くと言っていいほどありません。

 

私が同じブロマイドを一度に20枚購入するのを

「理解できない」「だって邪魔じゃん?」と言われ、

私は私で「欲しいと思わないことが理解できない」と

まるで違う感覚に驚きました。

 

 

私はグッズを欲しいだけ買うタイプのオタクです。

中でも誕生日に祭壇を作ったり痛バを作るタイプ

所謂“グッズ厨”の気持ちが痛いほど分かります。

 

親に漫画やアニメを規制されて育ったため、

大きな祭壇や痛バを作ったことはありません。

作るリスクが高いからです。

 

深夜にコソコソと隠れて、

あるいは家からグッズを運んで他の場所で

自分なりの小さな祭壇を作ったことなら

何度か経験があります。

 

SNSで見かけるような

壁一面や部屋全てをグッズで埋めつくした

誕生日の祝い方に憧れてきました。

 

 

 

そして今日、

私が今好きなジャンルで新しいグッズか出ました。

 

しかし、最初に考えたことは

「……これ、必要か?」でした。

(絵柄を見たら「欲しい!」という気持ちになりましたが)

 

最近のマイブーム・断捨離によって

物に対する考え方が少し変わったようです。

 

 

今までは、好きなキャラクターの誕生日に

部屋いっぱいに所狭しとグッズを並べて写真を撮って、

それを「Twitterに載せる」ことを目標にして

グッズを集めてきました。

 

グッズ厨の中には、

「公式にお金を落としたい」

「好きなものが沢山あると幸せ」

というタイプの人ももちろんいると思います。

 

でも私の場合は「Twitterに載せる」ことだけが目的でした。

「すごいと思われたい」

「愛が強いと思われたい」

自己顕示欲が私の所有欲を生み出していたのです。

 

言葉が強いですが、

「マウントを取りたいだけのオタク」

だったのです。

 

 

ところが最近になって

同じものをいくつも持たなくてもいいのかもしれない、

グッズの量が少ないからといって自分のオタクとしての存在が否定されるわけではない、

オタクには皆それぞれの適量があって、必要な分だけ持てばいい

……そんな考え方になってきました。

 

 

私がもし

大きく広い豪邸に住んでいて

莫大な富を築いているのであれば、

大量のグッズを集めてもいいのかもしれません。

 

集めたグッズを全て楽しむだけの心の余裕があれば、

やはり大量のグッズを集めるのは楽しいことだと思います。

 

 

正直、そういった余裕はなくなってしまいました。

 

グッズが出ればいくつも購入してきました。

ほとんどのグッズがしまわれています。

普段はその存在を忘れてしまっているのです。

 

部屋に飾らずにしまい込んでいたり、

逆に、心が疲れるほど大量に出して飾ったりするのは

私にはどうも合わなかったようです。

 

 

グッズを見れば欲しいと思います。

グッズを手にすれば楽しくなります。


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「小さな祭壇」しか作ってこなかった私。

それこそが、身の丈にあったサイズでした。

 

 

暮らしをミニマルにしたいと思う今日この頃。

ですが、心躍る物は飾りたいとも思います。

 

ミニマリストはひとつひとつの物を大切にするそう。

そんな意識が芽生え始めたのかもしれません。