かめぶろぐ

毒にも薬にもならないことなど

『マンガでやさしくわかる認知行動療法』読了

『マンガでやさしくわかる認知行動療法』を読みました。

 

認知行動療法」について知るきっかけとして読みやすい本だと思います。

具体例として挙げられている女性のエピソードが漫画で展開されるため、わかりやすく読み進めることができます。漫画部分は一部のみで、内容はほぼ活字でした。

 

 

不安や悲しみなどの感情に支配されて動けなくなる時が度々ありますが、そういった時の考え方のヒントになる本と出会えた気がします。

 

近々仕事に復帰する予定。職場での対人関係にモヤモヤしがちなので、頭の片隅に置いておきたいです。

「なんだかなぁ」を「まあいいか」へ

「なんだかなぁ」と思う時が増えた。

 

それほど強くストレスを感じている訳でもないが、「なんだか上手くいかないなあ」「なんだかモヤモヤするなあ」「なんだかスッキリしないなあ」なんて思っている時に口から出るのが「なんだかなぁ」というボヤキ。

 

「なんだかなぁ」を「まあいいか」にできれば人生もうちょっとラクなんだろうな、とか思ったりする。

 

何か一つの出来事に対して、悪い方へ悪い方へと考えてしまうクセのようなものがあって、そのせいで必要以上に凹んでる感じ。

認知のゆがみってヤツかな……。

 

今日はゼリー飲料のキャップが上手く開けられなくてモヤモヤした。今思えばたかだかそんなことで、と思えるがキャップが開けられなくて苦戦していた時はものすごく嫌な気持ちだった。(その後キャップは開けられた)

 

今回はキャップ開いたし、まあそれでよしとしてみる。

 

この「それでよし」「まあいいか」と考えるのにものすごくエネルギーを使う。

けど、心が軽くなる感じはある。できたらやろう。

一人暮らしの非常食にはレトルト介護食がおすすめ

本日、無事退院しました!

 

3度目の入院で、今回は一人暮らしになってから初めての入院。

そのため、退院後の準備を万端にしておきました。

この備えが功を奏したのでまとめておきたいと思います。

 

一人暮らしの非常時の備えとしても、役に立つと思います。

 

 

私の現在の状態について

エナメル上皮腫という病気で入院しました。

顎の骨の中に腫瘍ができる病気です。

この腫瘍を周りの骨ごと削り取る手術を行いました。

 

今、右下顎がパンパンに腫れています。

 

食事の際は口の左側だけ使える状態です。

そのうえ、顎と口腔内に痛みがあるため、現在噛む力はほぼありません。

 

入院中はお粥とペーストや細かくしたおかずをもそもそと食べていました。

 

退院後の食事メニュー

退院後は自分で食事を用意する必要があります。

退院したとは言っても病み上がり。手術してからまだ4日です。

 

一人暮らしのため、料理を用意してくれる人はいません。

この状態で食事を作るのはかなり酷ですし、外食やお惣菜に今食べられるメニューはほぼありません。

 

そこで私が用意しておいたのが、介護食です。


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「やさしい献立」シリーズ。

レトルトパックで常温保存できます。

 

写真の他にも種類があります。


やさしい献立|介護食|キユーピー

 

この介護食と汁物(めんつゆや白だしをお湯で割っただけのもの)が退院後のメニューです。

あわせて温泉卵やヨーグルトも食べました。

 

介護食でも美味しい

「介護食ってあまり美味しくなさそう」という勝手なイメージを持っていましたが、食べてみると普通に美味しかったです。

大根の食感がちゃんとあることに感動しました。

それでいてよわよわな私の顎でも食べられる柔らかさ。

「食事をしている」という実感があります。

 

衣・食・住のひとつである食事。

食事を美味しく食べられることは、豊かな生活の基盤だと思います。

 

ユニバーサルデザインフード

一般的に介護食と呼ばれる食品を「ユニバーサルデザインフード」といいます。

日本介護食品協議会によると、ユニバーサルデザインフードには「容易にかめる」「歯ぐきでつぶせる」「舌でつぶせる」「かまなくてよい」の4段階があるそう。

それぞれ柔らかさやとろみが異なります。


わかるユニバーサルデザインフード|日本介護食品協議会

私が食べているのは「歯ぐきでつぶせる」タイプです。

 

非常食に介護食がオススメな理由

非常食セットにお粥のレトルトが入っているのは見たことがありますが、毎日お粥を食べるのは飽きます。

入院中はお粥+主菜、副菜、デザートの組み合わせでしたが、病院食でおかずの味が薄めなのもあって飽きました。

その点、「やさしい献立」シリーズはお粥だけでなくおじや、うどんなどもラインナップに揃っています。

おかずのメニューを色々と楽しめるのも嬉しいところ。

 

レトルトパックのため、器に開けてレンチンですぐに食べられます。(湯煎もOK)

 

非常食は健康な時に用意しがちですが、地震や災害などの非常時だけではなく、病気になった時のことも考える必要があると思います。

風邪で喉を痛めると飲み込むのがつらい時がありますよね。

そんな時にユニバーサルデザインフードが役立ちます。

 

非常食はアルファ米などの「一般的な非常食」だけでなく、ユニバーサルデザインフードもあると安心です。

特に、一人暮らしで近くに頼れる人がいない場合は、自分が動けなくなった時のために備えておくとよいでしょう。

 

まとめ

 

今現在、手術後の痛み・微熱・倦怠感があり、本調子ではありません。

痛いので顎はなるべく動かしたくないです。

それでも「料理をしなくてよい」という安心感に助けられました。

入院前に用意していた私、グッジョブ。

 

ユニバーサルデザインフードは他のメーカーからも様々な商品が出ています。

顎の状態が戻っても引き続き非常食として備えておきたいです。

 

ひとりになりたい

入院生活5日目。

1人になりたくて気が狂いそう。

 

近くに人がいる状態が長時間続くとしんどい。

昔からこういう性格?のため、友達と旅行に行っても個人行動の時間を作ってもらったりしている。

理解のある友達で本当にありがたい。

 

入院生活はそうもいかない。

病棟を離れようとすると看護師さんに声をかけられる。

(看護師の行動としては至極真っ当で正しいのは理解している)

 

高い金を出してでも個室にすべきだったのか……。

個室であってもダメそうな気はする。

病院内は深夜でも色んな音がなっている。

心電図のモニターの音とか。館内放送とか。

医師や看護師も定期的に見回りに来る。

 

全て医療行為なのは分かってる。

分かってるけど、しんどい。

 

他人との距離が近すぎてしんどい。

 

私ってこんなにストレスに弱かったっけなあ?

ていうか言うほどストレスか?

入院手術してんだからストレスなのかな……

 

最近色んなことがダメだなと思う。

自立しようとしてから色々苦しい。

 

家族に頼っていた部分があったことを実感。

依存されてたというより共依存だったのかも。

 

ま、予定では明日退院出来るはず。

昨日は睡眠薬飲んでも寝れなかったけど、今日は寝れるといいなあ。

生きてます。どうにか。

大学病院に入院している。

一昨日に手術をして、その後高熱が続き病院内でぶっ倒れたりしたが、今は比較的落ち着いた。


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高熱で魘されてた時は「毎日死にたいと思ってんのになんで生きるために治療して苦しい思いしてんだろう」と鬱々としていた。

あと点滴入れる針(刃物や針が苦手)とか頸動脈エコー(首を触られるのが苦手)とかでちょいちょいパニック起こしたり。

精神的に安定しないのはいつものことなので「またか~ 」て感じ。

主治医にも「術後の痛みのストレスとか環境変化が原因だと思うので、無理しないで何かあったらすぐに言ってくださいね」って言われた。

 

正直、ここまでダメになるとは思ってなかった。

不安時の頓服薬も入院中は出番ないだろうと思っていたら毎日のように飲んでいる。こんなはずでは。

 

でもまあとにかく生きてるわ。

なんでだろう?

なんだかんだで生きようとするんだよな、私。

 

病名はエナメル上皮腫。

私の場合は右顎の骨の中に腫瘍が出来て、骨ごと削り取るっていう手術。

 

比較的若い人がなるらしくて、再発性が高い。

ていうか今回も再発、5度目。やんなっちゃうな。

 

前回、術後のブログ。


再手術 - かめぶろぐ

 

前回は日帰り手術。

以前入院した時は、春コミ前で病室で原稿描いてた覚えがある。元気じゃん……。

 

今回は体調があまり戻らず、ほぼ寝たきり。

移動も車椅子。

もう立って歩くくらいはできるけど、昨日レントゲン中に意識を失って倒れて頭打ったもんで、なんだか大事になっちゃった。

心臓の検査とかも追加されて、そっちでまたパニック起こして……なんだかね。まあ人生色々あるね。

 

食欲はちゃんとあります。


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顎がパンパンに腫れて口が上手く動かせないのでお粥。

おかずは細かく刻んであったり、ペースト状になってる。

「これは茄子だな」「これはきゅうり」「これは……鶏ひき肉かな?」と食べる楽しみがあるのが救い。

 

売店で購入したプリン食べたりして幸せチャージしてます。

 

絶不調から不調くらいになったことだし、ぼちぼち、体調が戻っていけばいいかな。

 

感情のジェットコースター

家でグルグルと自己嫌悪していたら、インターホンがなった。

 

荷物が届いた。推しのフィギュアだ。

ついさっきまでの鬱々とした自己嫌悪感は吹き飛んで気分が一気に良くなった。

いそいそと梱包を開けてニコニコしながら組む。

きっと夥しい量の脳内麻薬が出ているに違いない。

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早速、「推し棚」に鎮座していただく。

 

最高。造形が良い。100億点満点。

……語彙力のないオタクの完成である。気分が高揚している。

 

 

私は一人暮らしをするまで、フィギュアを買ったことがなかった。

小さなものを中古で買ったことと、友達から貰ったことならある。

受注生産品を予約して正規で購入したのは初めての経験である。

 

実家では漫画やアニメは規制されていたので、フィギュアを飾るなんて以ての外だった。飾ったところで激昂した母に捨てられることが分かっているので最初から選択肢にない。

 

ところが。今は一人暮らしなので好きにしていい。

推し棚を作ってひとり悦に入っても、罵倒も叱責もされない。

 

おかげで物欲も膨れ上がっている。あれもこれも欲しい。どれも「好き」に満ち溢れている。

その一方で、身の丈に合わない量の物を持っても幸せになれないと思っている。

今は、自分で管理できる適量を探っているところ。

 

と言っても、予約をした時には「身の丈」なんてまだ気にもしていなかったので物欲が抑えられず、同じものを3つ購入している。

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私、これ、どうするんだろう……?

 

現在、部屋に出すグッズは「推し棚に飾れる分だけ」と決めている。好きだからと何でもかんでも出すと落ち着きのない部屋になり、物の多さに疲れてしまう。

 

残りの2つは飾るスペースはない。

かと言って売るつもりもない。保存するのだろうか?なんのために……?

一時の感情で衝動買いをすると冷静になった時が怖い。

 

 

今日は感情の起伏が特に激しい。

「久しぶりに友達と会えて嬉しかったな」

「愚痴ばかり言ってしまった。嫌われないかな」

「推しのフィギュアが届いた!やった!!」

「随分とお金がかかったなあ。入院控えてるのに、痛い出費。無計画だなあ……」

「飾った!嬉しい!楽しい!!」

「また衝動買い。買い物依存かなあ。嫌だなあ」

といった具合である。

 

 

軽い気分の浮き沈みなら良いのだが、私は気分が下がる時はものすごく落ち込む。

他の人も似たようなものなのだろうと勝手に思っていたが、どうやら私は感情の起伏が激しいタイプのようだ。

 

気分が上がる分には楽しいので困っているという感覚はあまりない。困ることと言えば計画性が無くなること。

逆に気分が下がる時の下がりようは自分でコントロール出来ずに落ち込みすぎてしばらく戻って来れないこともある。

 

感情がジェットコースターのようで目まぐるしい。

せっかく推しのフィギュアが届いたのだから、ハッピーな状態がもうちょっと長く続いてもいいのにな、と思う。

 

しかし人間は幸せを感じるのはほんの僅かな間だけらしい。

私の感情の起伏は、下がる時に下がりすぎているのかも。

 

嫌な時に嫌な気持ちを噛み締めないようにしたい。

そのままの自分でいいのだと思えるようになりたい。

明日は明日の風が吹く」と軽く流せる余裕を持ちたい。

 

余裕が無いと、楽しいことがあっても他のことに気を取られて参ってしまう。

きっと自分に余裕があれば、気にかかることがあっても「まあいいか」「なるようになる」と思えるのではないだろうか。

愚痴をやめたい

今日は久しぶりに友達と話した。

 

私が精神的に参っていたので愚痴を聞いてもらう会のようになってしまった。

申し訳ないと思う。

私は人の愚痴を聞くのが苦手なのに、他の人に対しては愚痴を吐いてしまう。やめたい。

 

あまりに愚痴っぽいと友達が離れてしまうのではないかと怖くなる。

 

愚痴を言うことで事態が良くなった経験はない。

むしろ私の愚痴は重い話になりがちなので、友達に気を使わせてしまう。今日話を聞いてくれた友達は「いつもの事だから気にしてないよ」と言ってくれるが、いつまでもこのままではいけないと思う。

 

三十路手前にもなって親のことでグチグチとしているのは情けない。

こうして自己嫌悪感が強くなるのも愚痴のデメリット。

 

自分だけでは手に負えないようなストレスは、少なくとも友達に聞いてもらうのではなくて、カウンセリングで話した方がよいだろう。

「そのためにカウンセリング料を払っている」くらいに思えるようになりたい。

 

カウンセリングを通して自分に自信がついたり、自己肯定力を高めることができれば、親にされたことで傷ついた自分を掘り起こさなくて済むのかもしれない。

そのあたりは「自信がある」という状態をキープした経験がないのでなんとも言えない。未知の感覚。

 

心療内科の診察で薬を処方してもらう日に、カウンセリングをセットで受けている。

私は人生で何度か心療内科のお世話になっているが、少し回復してくると「病院のあるビルに入ると街の人からアイツは心の弱い人間だと思われる、それは嫌だ」と病院に行かなくなってしまう。

そうして勝手に服薬を中断し、しばらくして症状が悪い状態に戻り、しばらく一人で鬱々と生きづらさを感じながら暮らし、限界になりまた心療内科に行く……といった良くないスパイラルを繰り返している。

 

今通っている病院の受診とカウンセリングを続けることが出来るのか不安。また行くのが嫌になってやめてしまうのではないか?そしてまた悪化するのではないか?

これも自己嫌悪感に繋がってしまう。

なかなかどうして難しい。頭では分かっているつもりでも感情が邪魔をして上手くできないことがある。私の場合は人からどう思われるかが気になって仕方がない。

世の中、みんなそれほど他人のことを気にしてはいない。分かっているつもりなのだが怖くて仕方がない。

 

カウンセリングでは「「怖い」が強いんですね」と言われた。

その通りだと思う。

 

この恐怖心が和らげば今の生きづらさもマシになるのだろうか?

つい愚痴を言ってしまう自分も変えていくことが出来るのだろうか?

 

 

とりあえず今日のところは、自分を労わって過ごそうと思う。

落ち着く音楽をかけて、好きな香りを楽しむ。

最近はジャズが心地よく、スイートオレンジのエッセンシャルオイルがお気に入り。

 

自分を大切にして生きていきたい。